【仕事で役立つ】素直に謝るとはどういうことか?
どうも、oyanです。
仕事でミスしてしまいました。
相手は怒ってます。謝ります。
ふと謝る時に思ったことがあります。
許してもらうために謝っている
そんな時があるような・・・
そんな時ありませんか?
これ、謝る目的が完全に間違っています。
今日は、素直に謝るとはどういうことかについて書いてみます。
私の経験
私にも経験があるのですが、
リリースした製品がバグっていて、お客様に迷惑をかけた事があります。
「人の命に関わる」や「人の財産が消える」のようなことは無いのですが、
ソフトウェアの更新を行うのに手間がかかるので、
お客さんがちょっと(いや、かなり)嫌な顔をする。なんてことは過去にありました。
時として「タダ働き」したこともあります。
これは、日本の契約に関する用語で「瑕疵担保責任」を問われました。
「これは、カシ(瑕疵)ですね。」とか言われることがあります。
2020年4月1日より「契約不適合責任」と呼び方が変わりましたが、
いまだに現場では「瑕疵!」と言ってます。
要は、契約時に「○○のように動く」って契約しましたよね?
でも、「○△のように動いている」
契約違反ですね。あなたの責任です。無料で直してください。
ってことです。
ソフトウェアは間違えが起きやすい
詳細は割愛しますが、結構バグりやすいんです。ソフトウェアって。
最近ではAIという言葉がよく出てきますが、
AIを作ってシステムに組み込もう!ビジネスをもう一段階進化させよう!
ということで「AIプロジェクト」が立ち上がる会社も増えていると思います。
で、AIなのですが、ハッキリ言って動かしてみないと、
そのAIが良い出来か分からないです。やってみなきゃ分からないって世界です。
なので、AIだとPoCと言って実証実験(概念の実証)を行なって、
実際にプロトタイプのようなAIを作って試して検証してから、実際の本番用のAIを作り始める。
そんな流れが推奨されています。
そう、ソフトウェアって間違いが起きやすいし1発で上手くいくなんてまずあり得ないんです。
なので、とにかくトラブルが起きやすいわけです。
ソフトウェア開発者のこちらからすると、
言いがかりのようなクレームもよくあります。
確かに契約書には「○○のように動作」と書いてあるけど、
技術的には「○○」は不可能だったので「○△」としたし、
開発中にも確認はしたし、実運用としては何も問題ないはずなのだけど・・・
なんて言うトラブルはよくあります。
ソフトウェアを予め計画通りに作れる。を前提として契約なんて結ばない方が良い。
と私は思います。
この意見に同意の方はこんな本も参考になります。
そもそも、ソフトウェアを受託して開発する。
というビジネスモデルが詰んでいる。いや最初からおかしい。
ソフトウェアを軽視した国策として正しい産業構造として発展させなかった、
国政や産業界が悪い。
おっと、脱線しました。
日頃から、日本のIT産業のダメな部分を考えていると、
ついつい愚痴っぽいこんな話を書いてしまいます。
本題に戻ります。
当然、こちらに落ち度があって、
お客さんが怒っていることももちろんあります。
そんな時は謝ります。では何のために謝るのでしょうか?
相手が怒っているから謝るのでしょうか?
私は謝罪は嫌い
謝罪って私は嫌いです。
好きな人っているのでしょうか?
謝罪をするのも、謝罪を受けるのも、謝罪を要求するのも、
なんか不毛感があって私は嫌いです。
でも謝ることが必要なときはあります。
何のために謝るのか?
謝る時はいつか。
私が「こうあるべき」「こうありたい」と願った結果と異なる状況に陥ったときです。
私の「こうありたい」はちょっとだけ補足があって、
お天道様に恥じない行いであって、お天道様のもとを手を振って堂々と歩くことができる。
この価値観に通ずる行いでなければ、私の「こうありたい」とはなりません。
とにもかくにも、
私の判断や作ったソフトウェアによって、相手方へ不利益や傷つくことが起きた(起きそう)。
こんな時に謝ります。これが目的です。
謝る理由や目的は、決して、
「相手が怒っているから謝る」
「相手に許して欲しいから謝る」
と言うわけではありません。
謝るときは素早く
私は、よく部下に対してこのように言います。
「人は自分が過ちを犯している。とは信じにくい。」
これは、部下がソフトウェアのテストを行う時に言ってます。
どう言うことか。
人は(普通は)自分が悪人であるとはこれっぽっちも思っていない。
だから悪意はないし、自分が間違っている。とは本能的に認めにくいものです。
自分が間違っている。と認めてしまうと自分に自信がない人は特にそうですが、
自分が無能であると勝手に想像してしまい脳が「自分が間違っている」と言う認識自体を拒絶する。
と私は考えています。
そんな人が自分が作ったソフトウェアをテストする時に、
目が曇ります。バグを見逃す可能性が出てきます。
なので、自分が作ったソフトウェアをテストしなければならないときは注意が必要です。
さて、これが「謝るときは素早く」とどうつながるのか。
人は「自分は間違っていない」と思い込む。これがポイントです。
頭では「人は過ちを犯しやすい」と理解していても本能が拒絶します。
また、「間違うのは自分だけじゃないじゃないか」と開き直ってしまうこともあります。
他人が慰めてくれれば尚更です。
責任転嫁、見なかったことにする、忘れる、
気が楽になるかも知れません。
しかし、いくら自己正当化しても、
私が「こうあるべき」と考えることが具現化されていなければ、
この問題は決して消えません。
相手を傷つけた、損害を与えた。この事実は消えませんし、
相手は忘れることは無いでしょう。
そんな状態で、
お天道様の下を手を振って堂々と歩くわけには行きません。
生きている実感がありません。
これは紛れもない事実であるので、
勇気を持って謝る。これしかありません。
許してもらうために謝るのではなくて、
「こうあるべき」が実現できずに被害を与えたこと。
それ自体に対して謝るのです。
それが大人の責任感であり、
その責任感があるからこそ、慎重さにつながります。
勇気を持って謝りましょう。
この決断を素早く行いましょう。
そうしないと、状況はどんどん悪い方向へ進みます。
具体的に何を謝るのか
「手間のかかる作業だったけど落ち着いて間違えないようにしていたんです」とか
「何度も見直していたのです」のような、感情とか心掛けではなく、
自分が判断して実行した行動の悪いところを振り返り、
過ちに繋がった行動について謝りましょう。
正直に振り返るのが大事です。
これは非常に勇気が要ります。
しかし、これは避けては通れない関門です。
勇気を出して突破しましょう。
なぜこのような言い方をしているかと言うと、
社会人になって、
仕事をするようになって、
初めてのミスの時は(言い方は悪いですが)大した仕事を任されていないので、
傷は浅いです。
傷が浅いミスの時に、この関門を突破する方が簡単です。
この関門を突破すると、前述のように、
慎重さや、正直になること、自己肯定感、自信につながります。
この観点は私はとても大事だと思います。
この関門の突破が遅れれば遅れるほど、
俗に言う、「拗らせた」困った社会人になってしまいます。
将来の判断や行動を改善する
正直に謝った後は、改善策を提示します。
具体的に不味い判断や行動を洗い出したので、
その判断や行動を改善する内容を相手に示します。
そして改善していることを相手に見せていきます。
この改善された行動を相手が見たら、私たちの誠意を認め・・・てくれるかも知れません。
今回のミスが2度と起きないように論理的にハッキリと問題点を定義して、
その問題点が改善策で改善されることも論理的に明示できるところまでを目指します。
とにかく誠実に
謝る時は、とにかく誠実に。
これに尽きます。
怒っている相手と向き合いたく無いので、
メール1本で済まそうとしていませんか?
本当に大きな問題だと思うのであれば、
どんなに遠方であろうと直接会いに行って、謝るべきです。
謝るプロセスを整理
1.自分の判断や行動で「こうありたい」と願って行動したが違った結果を生んでしまったことを素直に認める
2.相手を傷つけたり、相手に損害を与えたことを認め、償いを提示する
3.同じミスを2度と起こさない改善策を考えて、具体的に行動していることを明示する
基本的にはこの流れです。
絶対に許してもらおうとするな
自分が謝れば相手が許してくれるかも知れない。
そんな甘い考えは捨てましょう。
損害が大きければ、ハッキリ言って相手は私たちを許すことなんてありません。
それは、極端な話ですると、
企業が重大な過失を犯して人が亡くなってしまった時に、
遺族が企業を許すのか?という話です。
2度とミスを犯さない!
と相手と約束を交わす。
それが、私たちにとって価値のあることです。
もちろん、大損害を起こしてしまったら、
謝って改善策を考えることができたから価値があったな。
などと悠長なことを言えませんが、
そのような大損害を起こすミスを発生させる前の小さなミスのうちから、
正しく謝ることを身につけておけば、そうそう大きなミスは起こさない(起きにくくなる)と思います。