【コロナ後も】Geekから学ぶ在宅勤務

どうも、oyanです。
在宅勤務どうですか?良いことも悪いこともありますよね。

2011年に発行されたソフトウェアエンジニア向けの書籍で、
「Being Geek」という書籍があります。

Being Geek ―ギークであり続けるためのキャリア戦略

この書籍の中で「在宅勤務」の章があるので、
この章に書かれていることと私の見解を交えて、
在宅勤務の注意点や考えることをご紹介します。

コロナ渦の前に発刊されている書籍ですが、
在宅勤務とはそもそもエンジニア界隈ではどう考えていたのか?
を知って生かしていきたい。というのが本記事の狙いです。

この本の著者

書籍の帯から一部抜粋。

ソフトウェア開発者のキャリア形成について、
NetscapeやBorlandなどのシリコンバレーの企業で長年働いた経験。
エンジニアが転職を考えるとき、何を検討し、決断するか。
中略
自分の力を最大限に発揮しながら、
自分にあったキャリアと働き方を提案する本書は、
ギークであり続けたいと考えるエンジニア必携の一冊である。

Being Geek

序章

「在宅勤務したいのですが、良いでしょうか」
私はその言葉を聞いて動揺する。太郎くんだ。
太郎くんは優秀なエンジニアでチームのリーダ的存在だ。
信頼しているし、頼んだことは必ずやり遂げる。
もう6年以上も成果を上げ続けている。在宅勤務を申し出る資格くらいあるだろう。
しかし、それでも私は不安に陥った。
なぜか。
「在宅勤務を申し出た人は、1年以内に自主退職するか解雇になる」
これは私の考えだった。
今までの経験ではそうだった。どうしてそうなってしまうのか。
会社に来なくなるというのは、魚が池から出るようなものだからだ。

集団は池のようなもの

池に滴が落ちるとさざ波が起きる

集団(組織)のコミュニケーションを考えるときに、
1つの「池」を思い浮かべると良い。

小さくて丸くて、水が少し緑色(水は一箇所に溜まると淀む)の池だ。
池の緑には、柳の木がある。何もかもを見てきた木は少し悲しそうに見える。

この池の例えで言うと、
組織に属する人は池の中のどこかに居る。
池の中での位置は、他の人たちとの関係性で決まる。
組織内での地位も、池の中での位置に影響する。

社内で何かが起きると、あるいは、誰かが重要な発言をすると、
池に滴が落ちたように、さざ波になって広がっていく。

さざ波は、人から人へ伝わる情報である。

大きな滴が落ちれば、波も大きく、遠くまで広がる。

会社には絶えず情報の流れがある

池に絶えず滴が落ち、それによって様々な大きさの波が生まれて、
あらゆる方向へ広がり、時には波と波がぶつかり形が変わることもある。
形が変わった波(情報)が、所謂「噂話」「ゴシップ」と言うわけです。
人に好奇心がある以上、色々な情報が集まってくる。

在宅勤務は池の外に出ること

在宅勤務を開始すると、池の外に出ることになる。
絶えず入ってきた情報が入ってこなくなる。

人間性

その人が在宅勤務に向いているかどうか。
在宅でも高い生産性を維持できるか。
非常に気になるところだが、この問いに答えるのは難しい。
理由は、その人の成果に関するデータは会社で働いている時のものだからだ。

誰も見る人がいなくなった時に何が起きるのか。
社員全員に伝えるべきことをうっかりその人に伝え忘れるとどうなるのか。
その時の反応を予測できるか?
製品が完成し共に祝うことがないとしたら、皆のその人に対する感情はどうなるのか。

これら問題は、コロナ渦の2020年以降には、
解決策はいくつかありそうだ。

社員全員に伝えるべきことは、
動画に撮る、SlackやTeamsのチャットで流す。
製品の完成を祝う時は、やはり顔を合わせたい気もするが、
それはコロナが落ち着けばどうにでもなる。
そもそも遠方の人と組むプロジェクトなら最初からそれを前提なので、
気にならないと思う。

余分なコスト

在宅勤務になると余分なコストが発生する可能性がある。

その人は、1通のメール(チャット)で、言葉で、
どれだけ複雑な情報を伝達できるだろうか。文章構成力が高いか?
顔を合わせれば伝わっていた微妙なニュアンスが伝わるか?あるいは伝わらなくても問題ないか?

曖昧な情報への対処

上司がうっかりして曖昧な指示、
具体的な意味がよくわからない下手な指示をしてしまったら、
この人はどう対処するか?
具体的な意味をあれこれ考えて、どうしてもわからない時に聞いてくるか。
あるいは、すぐに明確な説明を求めてくるのか?
社内にいるとすぐに聞くことができる。
だが、在宅勤務だと自分から助けを求めないと、誰も助けない。

助けを求めるまでに要する時間も重要。
時間がかかり過ぎてしまったらどう対処するのか?

仕事の終わり方の判断

どこまでいくと「この仕事が終わり」と言えるか。
その仕事の仕上げはどうするのか。
その判断を自分でできない人も実際にいる。
「そこまでしなくてよい」ところまで踏み込んで終わらないことや、
「えっそれだけ?」で終わってしまうことがある。

何かを頼んだ時にこの人はどのような結果を出してくるのか?
を予測できるかどうかが重要になってくる。

在宅で働く能力は天性

自分で立てた予定をきちんと守って、誰も見ていなくても滞りなく、
仕事をこなしていくことができる人。
この能力がある人が在宅勤務に向いている。

これは有能さとはあまり関係がない。

有能さとは、
質の高い製品を作れる、同じ量の仕事でも他の人よりも短い時間でこなせる生産性、
これらの能力があるのが有能と言えると思うが、
有能でも在宅勤務に向かない人はいる。

経験年数もあまり関係ない。
とにかく「こうする」と決めれば、
その通りのことを一人でも実行できる能力があるかどうかを見る必要がある。

結局は本人次第

在宅勤務者に適切な仕事を割り当てたり、
その仕事や内勤者とのコミュニケーションが円滑に進むような文化を育てるのは、
マネージャの仕事ではある。
だけど、責任はマネージャだけではなく、在宅勤務者本人にも同様に責任を負うべき。
在宅勤務者の仕事を管理できるのは、結局は本人だけだ。
例えば、午後の4時に困った困難な問題に直面したとする。
その時に、即座に有効な対応策を考え始めるかどうかは本人次第。
誰も監視しているわけでは無いから、全ては本人に委ねられている。

在宅勤務は特権では無い

どこにいても、仕事をすることに変わりない。
内勤の人と同じように変わらずい仕事をしなくてはならない。
全く同じように成果を上げなければならない。
そのためには、多少、内勤の人よりも負担が大きくなることに覚悟しなくてはならない。